何を書けばいいのか。。。と思いながらの第2回
現在、HPも屋号も新しくしようとイメージを走らせているところ
思考の部分で色々と妄想をするのが好きなんだなーーと感じてる。そう、、、色々と想像をして、色んな場面を映画のように作るのが好きな子だった。おままごとと云えば子供遊びの定番だけど、ひとりでいくらでも遊べたし。積み木で色々なものを造ったり、全部並べてドミノ倒しをして遊んだり。誰から教わったのか覚えてないけどね。本当にくるくると次から次へと興味の焦点が移っていってた。よく言えばマルチな子。悪く言えば飽きっぽいともいう(笑)あ、でも、飽きちゃってほったらかしという訳ではなく、ちゃんと戻ってきてまた続きをやってるのよね。同時進行してる感じ。本人としては。。。
ひとつの事を黙々とやるの事もあったけど、大体は技術的なことへ発揮する妥協のない集中力とでもいうのだろうか。大好きなのは踊ること。クラシックバレエを幼少期から習っていて、振付を見ているだけで全部覚えてしまうほど。踊れる技術があるなしは別だけど、音楽と振り付けは覚えてしまってた。全幕ものの作品でも練習を見ていたところは全部覚えていたな。
いつもは4畳半のお部屋やお庭で踊っていたのだけれど、知人のお家へ訪れた時にレッスン場のような広いお部屋に感動して、ずーーーーっと踊ってた。音楽なんか流れてなくても自分の内側から聞こえてくる音楽で踊ってた。
呼吸をするくらい自然なもので、大好きで、うまく踊れなくてもただ好きだった。
怪我をしたことから、段々と怪我が重なるようになって、とうとうバレエからは遠ざかってしまったな。ストレッチのレッスンを受けるだけになっちゃった。8畳ほどのお部屋で時々踊ることはあるけど、ぶつかりそうになる(笑)
踊ったり、歌ったり、演技をしたり。大好きだった。特に音楽を聴くとイメージが次から次へと目の前に表れてきて、自然と体が動いてしまう。また昔のように踊りたいな。。。
再挑戦をここでするのは、どうだろう。。。幾度となくやり直して、どんどん状態が辛くなってしまったから。この頃とは設定そのものが変わったので、今ならスムーズに流れていくのかな。
設定といえば、昔は、「頑張らなければ幸せになれない」「達成するには努力が必要」って言われてたし、そうなんだと思っていた。どうやら違ったらしい。。。もちろん技術的な習得って、何度も練習したりして体に覚えてもらうのって大事だけれど。「頑張り続ける」という現象を創り続けたのは、「達成するには努力が必要」という「達成しない」ところから機能していたからなのだということを最近になって知ったのよね。そう、結局は永遠に「達成しない」状態を創り続けていた。
なんじゃーーそりゃーー!!
って思ったのよ。この無意識から創られる現実世界の仕組み。教わったことないし。聞いてないし!!最近になってよく聞くようになったけど、どこから出てきたのか?それさえも不思議だわ。
会社勤めではなく自分の提供するサービスで報酬をいただく。生活をする。ビジネスという転換へ動き出した時、私の得意とするスピリチュアルなことを進めていこうとすると、スーッと進んだかと思ったら、ピタッと止まる。
沈黙。。。。。
ここは意識が止めている。自分の何かが止めているのだと聞いて、そこを取っ払おうと、自分の枠を超えようと、どれだけ費やしただろう。こういう方って意外と多いということは、ビジネス系のセミナーに行って知りました。スピリチュアルなコンサルもセミナーもたくさん受けた。でも、どれも私にとっての突破口にはならなかった。
動き出したのは、アトピー性皮膚炎が再び勃発し、全身の炎症状態が酷くなりすぎて、スピリチュアルなエネルギーワークでも軽快せず、自分自身としっかり向き合うしかないのかも?と感じて、私の心の声を感じ、聴くという作業を続けていた時でした。自分自身だけだと、どうしても無意識に避けてしまうなと感じて、ある方にサポートをお願いしました。その方からの一言に反応して、本当に自分自身と一体になる。ひとつになっている感覚を覚えて、ただ涙が溢れて止まらなくなりました。
今まで感じてたひとつになるという感覚とは違ってた。これが一体になる。ひとつになるという感覚なんだと。ここからひとつひとつと自分の気持ちに寄り添って過ごすようにして、最初は意識して、そのうちそれが自然になってきました。
こうなっていくとね、周りの空気感が変わっていったんです。受け取る機会も増えたし、内容も豊かなものになっていきました。自分に制限を設けていたものが段々と外れていって、小さくうずくまっていたものが少しずつ大きくなっていきました。避けていたことに対する不安や躊躇が減っていき、行動に移せるようになっていったんですね。
不思議と内側には穏やかな気持ちと安らかな愛情のようなものを感じていて、ちいさな幸せに気付けるようになって、感謝だなーって♡
時々、イラっとするときもあるけど、無理に気持ちの方向をポジティブにするというより、視点を変えることも楽にやっていることに気がつき始めました。ポジティブに考えようと無理をしていて、結局はネガティブな状態を創ってたという。。。ありゃりゃ。。。
子供の頃にこのような捉え方があることを知っていたら、どんなにか楽だっただろうと思うこともあります。今までの経験し続けた辛いこと、哀しい思いも経験したくてやってきたと言われるけれど、、、やっぱり辛かったものね。本当に辛かった。みんな辛いんだよ!と言われたこともあるけど、それでも当人にとっては比べようのないものだから。存在そのものを否定されたような気持ちになったり、そう捉えたのは私だけれど、そう自分に納得させるしか生きれなかった。自分は何のために生まれてこの環境にいるのだろう?答えは未だに得られていないかな。。。
最近思うのは、物事に対しての意味付けは自分で勝手にやっているだけで、本来は意味付けそのものがいらないもの。ただそういう事象が目の前で起こったというだけなのだと。
「Being」
私は何をしたいのかな?という問いかけには、言葉は降りてこない。イメージでは写真やどこかで見たのか綺麗な映像が広がっている。これを形にしてみたい。その技量がないのがはがゆいのだけれど。
そうそう私たちって、体の中に霊魂(たまひ)というエネルギー体が存在しているのではないのよね。体という入れ物の中に、チン♪って鎮座しているイメージでいたのだけれど、どうも違和感があって。小さすぎるのよ。。。瞑想をしたり自分のエネルギーを感じていた時に、体より外にあったのよね。自分の内側にとっても広大な宇宙が広がっているのを感じたし。その宇宙は内側に感じるのだけど、そこから体の外側へとぶわーーーーって広がっていたの。霊魂という広いエネルギーの中に体が在る感じかな。最初に感じたのは、ヨガの最中だった。それから度々感じるようになって。
それとよく人へヒーリングやエネルギーワークをしている時に言われるのだけれど、「エネルギーをあげてると疲れませんか?エネルギー切れとかになりませんか?」って。私は、ぜーーーーーーんぜんならないんです。どんどんエネルギーが湧いてくる感覚の方が大きくて、熱くなってくるし(実際に手のひらが熱くなったり、汗かくこともある)。エネルギーの泉が内側にというか、源泉から湧いてくる感じ。しいて言うなら、エネルギー切れではなくてオーバーヒートのように熱持ちすぎて、ちょっと冷却必要みたいな。冷却もいらないんだけどね。風冷仕様でいいのかな。。。と。(バイク乗りしか分かりにくい表現でごめんなさい)
自分を卑下していた期間が長すぎて、なかなかこれでいいのかな?と振り返ったり、誰かに答え合わせを求めてしまう癖が抜けないけど、ようやく私で在ることに自分に許可をだせている今が幸せだと感じます。
仕事を辞めて、自分で始めたことで生きていく!
なかなか勇気がもてなくて躊躇してるけど、それでも少しずつやってみたいと思うこと、感じることをひとつずつ始めています。
次回は、過去世の記憶に少し触れてみようかな。
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