私にとっての神様(私の中の私を綴る)つづき Part2

***続き

夏の暑い時期だったので、夕方になると積乱雲がもくもくと広がってきては、夕立がくるのです。最近では少なくなったけど、昔は周りの山は緑が深くて夕方になると頻繁に夕立が来ていました

最近は山が削られて住宅街になって、すっかり夕立は来なくなり、夜は熱帯夜が続くようになりましたよね。夕立自体は雨が降って時々雷が鳴るという、そんなに珍しいことではないのですが。。。

毎日、夕立が来て、空が真っ暗に覆われる。

そして

雷鳴が、鳴り響くのです

我が家の上をゴロゴロゴロ♪ゴロゴロゴロ♪

右から左へと上空を雷鳴が走っていく。そしてまた左から右へと雷鳴が走って行き交っていく。天空から大地を引き裂くような雷鳴が時折響いて、

バリバリバリ~どっかーん!ズズズーーーン。。。

て地響きに変わる。ピカーーーーーっと光った瞬間に、

ベリベリベリベリドドーーーーン。。。

派手だね~~~

と思わず言ってしまうほど。いやホントに凄かった。毎日毎日、ド派手って言えるほどの雷鳴と雨が続くんですもの。お迎えする3日前当たりからが特に凄かった。家の中にいるからなんとか大丈夫だったけど、耳を塞ぎながらで、やっぱり怖かった。ひとりで留守番している時なんて、近所の大人が居るお宅へ逃げ込んだこともあったもの。

子供だもん!怖いよね、やっぱり。

お迎えする当日は、嬉しさの方が印象が強くてあまり覚えていないけど、夕立は来なかったかな。お天気よかったし

それからずっと我が家には神様と繋ぐ御神体が在るのだけれど、なにせ広くない普通の生活スペースに御神体があるわけで、お部屋で踊ったり、喧嘩したりと暴れればご無礼になるし、足は向けられないしね。

ただ、勉強机の真上に御神殿をご安置していて、その前でお布団を敷いて寝ているのは、他には例がなく羨ましくもあり不思議な光景だと言われたことがあります。

きっとこの土地に急ぎ必要だったのかもしれないね。と両親と話したことがありました。それからというもの不思議な現象を見たり、体験することが多かったと思います。守られているな、と本当に思いましたもの。(この不思議な現象も後日に書こうかな)

小学3年生の頃から、クラスに馴染めなくなって、毎日辛い重い気持ちで学校へ行っては、途中で抜け出して帰ってきたり。クラスで毎日のように問題扱いされるようになってからは、本当に辛くて、生きているのさえ辛くて。。。

それでもご教示では自分の生命を絶つことが一番の罪だからと言われているし。だとしたら何のために生きているのだろうと。

何をするためにこの世界に生まれ、この環境を選び、この時代、この体(アトピー性皮膚炎や体系など)を選んで生まれてきたのだろう?

両親は共働きだったので、ひとり留守番することもあったし、どこにも向けられない答えのない問いかけを御神体の前で座り込み

「なんで私は生まれてきたの?」

「なにをするためにここにいるの?」

「こんなに辛い思いをしなければいけないの?」

ボロッボロによく泣いていました。

自分を傷つけることもしていたし、何かといえば自分を責めていました。

これは大人になっても続いていて、最近になってやっと自分を責めることから自分を大切にすることへと変わっていきました。

自分の中にずーーーーっと仕舞い込んでいた当時の感情や思いをやっと外へ出すことが出来て、こんなにも辛かったんだねって。

本当は私はこんなにも実は愛されていて、守られていて、恵まれているのだということを受け入れられるようになっていきました。

最後の膿出しのようにアトピー性皮膚炎が2020年の年末頃から爆発して出てきて、こんなに酷くなったのは過去に一度だけ経験があったものの、どうすることも出来ず。。。

4歳の時にステロイド(薬)断ちによる副作用で凄まじい症状になった時の処方しかないと「自分で少しずつでもいいからやりなさい」という母の助言で、季節外れの材料を買いに探し、黙々とちょっとずつ出来る範囲で治療していきました。

病院へは行っていません。両足が2.5倍ほどに貼れあがってしまったので、流石に病院でこの部分の検査はしてもらったけど、皮膚科へは行きませんでした。

今もまだ少し症状は出ていますが、やっと普通に洋服が着れるようになりました。1年もかかるとは。(この方法も後日書こうと思います)

この間に、ほんとに色々とスピリチュアルなこと、エナジーワーク、心理学などなど試してみたけど

体に対しては、体へアプローチするのが一番早かった。偏りは逆に遅らせることになるんだな。。。と。

両方から、霊ー心ー体と繋がっているから(一緒なんだよね)。

この頃にアクセスバーズと出会い、アクセスコンシャスネスの捉え方が、私の重くのしかかっていた過去の記憶を軽くしていきました。

自分を本当の意味で愛すること、受け入れること、許容することが出来るようになったのも、たくさんの素晴らしい方々との出会いが、私を軽くしていきました。

本当のわたしと繋がる…というかひとつになって、

ここに在る=「being」

を感じられたのもこの頃です。ここからどんどん私の内側が解放され始めて、一年前のわたしとは全くの別人のようです。

宗教の教示は厳しすぎるところもあるけれど、今でも読み返すと、改めてこういうことなのかと深い学びを得ることができるようになりました。

あの時代にこの内容を伝えていたなんて。。。そして深い。

頭で理解しようとするのではなく、霊魂で理解しなさいというのが良く分かりました。腑に落ちるというのでしょうか。

これだけたくさんのことを癒し、手放してくるなかで、日々の私の心は穏やかで、いろいろなことに感謝と愛情を感じています。

昨年末くらいから、何十年と我が家にいてくださった御神体を御返納する話がちらほらと両親の口から聞こえるようになりました。高齢の為、御神体をお預かりし続けるのが難しくなってきたということでした

この話が現実化してくると、私の心の中から感情が湧き上がってきたのです。神様が居なくなるわけでもないし、繋がりが断たれるわけでもない。けれども、御神体を前にして、毎日のようにご挨拶をし、嬉しいことがあれば語りかけ、辛いことがあればちょこんと座って涙していた。

どれだけ私の心は、御神体が我が家に在ることで救われていたのだろう。

教会へお祈りにいくように、私は自分のお家で神様を常に感じ、お話し、問いかけ、自分の胸の内を整理をして、また明日も生きようと気持ちを切り替えて過ごしてきた。

その御神体が我が家からお帰りになる。

そう思った時、涙が溢れて止まらなくなりました。そうして気が付いたのです。私はどれだけ辛かったのだろう。どれだけの思いを内に秘めて感じないように生きていたのかと。こんなにも辛い思いを自分にさせていたのだと知りました。

楽しかったこと、不安だったこと、辛かったこと、怒りが爆発したこと、色々な思いが溢れてきました。独りで留守番した時に、大型の台風が通過して、窓ガラスが割れて怖かったこと。祖父が亡くなった時に視えない世界の存在たちからのメッセージを受け取ったこと。これは本当に心細くて怖かった。御神体がすぐ側に在ってよかったって心から思いました。両親の怪我や事故。自然災害も大きなものであったにも拘らず、その中でも大事には至らずで救われていた。

たくさんの御守護と御加護をいただいていたのだと、改めて強く感じて、感謝で胸がいっぱいです。

神様とか目に見えない世界の事はいろいろ表現があるけれど、私は贅沢にもいつも側で寄り添ってくださる両親のようで、親友のような親しみを覚えます。

あとひと月ほどで、御神体はお帰りになるけれど、大きな存在が空一面に覆い見守ってくださっている。そんな映像というかイメージが私には視えています。

最後は、心からの感謝を込めて御清掃させていただいて、御祭りを行わせていただく予定です。

5月5日と聴こえたけど。炎の日なのかな。(この記事を書いた後、5月5日に御返納することが決まったと、父から連絡がありました)

後ろ向きになることが多かった私を、家族を、そこに住む人々へ光を照らし、ずっと見守ってくださってありがとうございます

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

大好きな神様方へ

 

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