私にとっての神様(私の中の私を綴る)Part1

子供の頃、我が家に御神体をお迎えしました。

私のアトピー性皮膚炎がきっかけだったけど、その崇教で伝えられている御教えは、とても奥深いもので、とても昭和の時代にこれだけの内容を開示しているところはなかったように思います。

宗教の教えに対してちょっと反発するというか、正しい正しくないといったジャッジメントが強くなるところもあるし、何より「自分は罪深くて霊的な曇りが深い」という前提での周りの空気感にどうしても馴染めないところもありました。

ただ、そこでの手かざし(光を照射する方法)を受けると、全身の痒みが落ち着いてきて、痒みでなかなか眠れなかったのがスースーとぐっすり眠れたりと、気持ちよさと安心感があったので、ここで受ける光というエネルギーは本当に凄いと今でも感じています。(不思議な体験も色々とありました。)

私が5歳の頃に両親が最初に御縁をいただいて、私は年齢が幼すぎたので、活動には参加するもののまだ手かざしを出来るようになるには日にちが必要でした。

地球規模での霊的上昇。今でいうスピリチュアルな言葉だとアセンションと似ているのかな?今から一人一人が気付いていき、これからの地球の進む方向を(舵とりを)しっかりと神向き(精神性を高めること)に方向転換していかなければいけないと、活動を拡げていました。本来の神とのサトリ(「悟り」ではなく「差取り」)が大切だと。。。本来、私たちはヒト(霊止)なのであり、人間(「人」にはまだなっていない人になるまでの「間」)ではないのだからと。

もともとは神(+カミ)から生まれた存在であり、神そのものであったはず。

天国といわれる世界を物質で創りたいと、表現したいという神様の意向により、様々な計画が立てられ、何度も繰り返し試されてきた。

その集大成ともいえるのが、今、私たちが経験している現実と認識している世界。

話は少しそれたけど、大きな拠点だけではなく、身近で神様の波長と合わせやすくなる小さな拠点を全国、世界に拡める動きが大きかったので、我が家にも御神体をお迎えするようにとお話が舞い降りてきました。ただ、我が家はとても神様用の御神殿をご安置出来るほどの広さはなかったんです。家族ひとりひとり専用のお部屋はなく、カーテンで仕切った4畳半のお部屋があるくらい。ひとつのお部屋を神様用にというのは、かなり頭を悩ませたし現実的ではなかったんですよね。このお話を頂いたときにも一度お断りをしたほど。勉強机も兄弟全員分はなくて、ひとつだけ。私はダイニングテーブルや今はみかけないけど小さな折り畳みの台を使っていました。時にはエレクトーン用の椅子を机にしたり。

そんな中、色々とお告げではないけれど、霊感の強い方のところに他界した父方のご先祖様が出ていらして、がっつりと諭された父は承諾しないわけにはいかず、準備を進めると決めました。申請時には「順番待ちで半年くらいはかかりますから」と言われたので、神様をお迎えする場所を決めたり、ご安置する御神殿を造らなければと両親は話していたそうです。ただ、まだ半年あるし急がなくても大丈夫だしね、と少々ゆっくりと考えていたそうです。

ところが、ところがですよ

半年先の予定が

どう回り回ったのか

御神体にもサイズがあって、我が家は大きいのは場所がないので一番小さいサイズでと申請をあげていました。そうしていたら、「キャンセルが出たのでひと月後に御奉戴(ごほうたい)となります。」と連絡がはいったのです。まあ、慌てますよね。半年後の予定が翌月にはお迎えとなるんだもの。

まさに宇宙が(神様が)動いた!!!

それから慌てて御神殿を造っていただいたり、お迎えするにあたっての準備を急ぎ進めていきました。この辺りは、子供だったのであまりはっきりとは覚えていないのだけれど、御神体をお迎えする2週間くらい前からある現象が毎日のように起こっていました。これは鮮明に覚えています。

 

**次へつづく

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