何から書いたらいいだろうか。。。
20歳の頃から書き続けた覚書きノートを手放して、ここ数年はブログやSNSで感じたことや気付きなどを書き綴りながら発信してきたのだけれど、どうしてもonlineで自分の思いや感じたことを素直に発信することの抵抗が抜けませんでした。もっと自由に書いて表現したい!との強い思いがあったので、ドメインを買い、このHPを立ち上げた筈なのだけれど。結局は、今までそのような内容を書いたことはありませんでした。どこか、外からの目線や評価を気にして書けない自分がいました。
どこかで恐れていたのだと思います。それは、他者との間で経験した子供の頃の辛い記憶が、大人になった今も他者からの目線というものから自分を守ろうとしてしまっているのだということ。
自分の事を認め受け入れられずにいた私が、いろいろなことを経て、今やっと、私自身を受け入れられるようになったのだから、一歩、、、いや、一文字から書き始めてみようと、非公開でもいいじゃないかと。独り言のようにキーボードを叩き始めた。人に読んでもらう文章というよりは、自分の中を綴るように書き下ろしたもの。
きっと流れや構造なども関係なく、ただ思いついたこと、頭に浮かんだことを書き下ろしたもの。。。になりそうだなと思います。
私は、カードを使ったり、手かざしやチャネリング、ヒーリングといったエネルギーワークを行っています。もともと目に見えない何か。。。を感じ取っていたり、自分以外の何かを自分のことのように勘違い?認識してしまうところがありました。
それが自分のモノではないという、自分と他者の違いを認識し始めたのは、大人になってかなり年齢を重ねた頃から。それまでは、全く区別がつかなくて、電気のスイッチが入ったように鮮明にクリアに脳内に明るさで満たされているかと思えば、不安や自己否定に抑圧し潰されそうになって、何にも出来ない、自信のない自分になっていたりしました。
「これは誰のモノ?」
この言葉を自分に問いかけるようになったのは、自分と他者の課題の分離という、アドラー心理学といった現代心理学を学び始めてから。「あれはもしかして?」と自己分析が出来るようになってからのことです。
スピリチュアルなんて言葉もない頃から、夢の中でメッセージ性のある夢を見たり、なんとなく感じたことや頭の中で「こうだ」と根拠のない確信を持ったことが、現実となって現れていたり、人の体から何かを感じて、病気や死期を感じとるという子供でした。何かを視るということもあったと思います。
子供の頃の記憶は、時系列がバラバラで断片的。生まれつきアレルギー体質と診断されて、当時は万能薬と称されたステロイド軟膏を少し使ったことで、体の状態は悪化。その頃の精神的な不安定さは、薬の副作用もプラスしてたと思います。色鮮やかな色彩を好んで使って絵を描くのが大好きだった私が、ある時、黒や灰色、茶色、紫といった異様なぐしゃぐしゃな絵を描いた時に両親は不気味さを感じて、ステロイド軟膏の使用中止を決断したと聞いています。たまたま同級生のご両親がお医者様で、薬に関するお話をしてくださったのも背中を押したと聞きました。
霊的な話は、小さい頃は結構好きでした。怖い存在は視たくなかったので、無意識に避けていたけれど、神様とか綺麗な存在と、独り言でよくお喋りしていたそうです。神様の世界の事を話すのが大好きで、この自然界の素晴らしさも語り始めると今でも止まらなくなります。
3歳くらいの頃に近所の方が私のアトピー性皮膚炎のひどい状態を見かけて、ある宗教法人の御教示集を母に手渡し、是非とも手かざしをさせて頂きたいとお誘いいただいたものの、1年は完治にかかると言われた両親は、正食で薬から離脱させる!と決意し、そのあとでその宗教と関りを持つようになったと聞いています。正食は陽と陰の組み合わせやこの世界にはこの二つが存在し、私たちの体もこの二つが合わさってできている。病気というものにも体が陽と陰に偏ることで症状が異なり、適切に食事や環境や処置を行えば、かなりの確率で症状が軽快に向かう事が立証されているそうです。両親は、これを拡めている先生に指示を仰ぎ、私の体からステロイドを中止した際に現れる極度の副作用の離脱を私にさせてくれました。
これらを学ぶ中で湧いてきた疑問を根本から解決してくれる答えが、その宗教法人が発行していた御教示集に記されていたそうです。その当時は、今とは違いそのような内容に直接的に触れている書物は殆どなかったそうです。小学生に上がる前からその団体活動に参加するようになり、音楽隊という今でいう音楽サークルのような活動をしたり、鍛錬といった、登山やキャンプなどの集団行動も大人の方に混ざって、参加していました。遊んでいただいていたという方がしっくりくるかもしれません。。。クラシックバレエをずっと習っていたので、音楽隊活動では、バトン隊に所属をしていました。演奏会では、私は年齢が小さすぎたためポンポン隊というのを作っていただいて、バトンを回す代わりに、テープを幾重にも重ねて束ねたポンポンを作成し、振付に合わせて踊って参加しました。イメージだとチアガールみたいな感じでしょうか。
小学4年生の頃、念願だった手かざしの伝授を受けて、学校のお昼休みにクラスメイトに手かざしさせてもらったり、神様のお話をしたりしていました。
ただ、小学3年生のクラス替え以降、一部のクラスメイト同士で意見の食い違いが強くなり始めて、自分の意見をはっきりと言う傾向にあった私は、段々とクラスの中で問題視され始め、小学3年生の2学期には、独り孤立するようになりました。なぜか、何を言ってもやっても周りの子から中傷されるようになっていました。理由はいろいろ。なんでもよかったのかもしれません。「なんか気になる」「気に入らないヤツ」というのを幾度となく聞きました。こうなると段々と私への攻撃?とも思えるような中傷、仲間外れ、いじめなど。皆と違うことをひとつひとつ問題として取り上げられて、「何故ですか?何故そんなことをしたんですか?これからどう改善していきますか?」と裁判を受けているような。。。いや裁判でしたね。ほぼ毎日そんな状況が続いていきました。
この積み重ねが、「私のことは誰も何も受け入れてくれない。」「私の発する言葉は、誰も何も聞く耳さえ傾けてくれない。」「私が存在するスペースは、この世界にはない。」ということを自分自身に学ばせて、すり込み固めて行ったのだと思います。この当時の私が何故?これを採用していたのかは、記憶が定かではありません。
いつかあの雲の上から、私の本当の仲間たちが私を迎えに来てくれる。それをずっと信じていたのを覚えています。
宗教活動を続ける中で、その教えは子供の私には重く大きく浸透していきました。「罪深きもの」「カルマ」などなど。目の前に現れている事象は、私の過去世からの罪の償いなのだと思っていました。今でも、自分の意識がこの現実を創っていると学んでいても、「これは真実?どれが真実?」とふっと思う時があります。何せ目には見えない世界のことなので、不確かであり確かな世界なのですから。
自分を責め続けていました。皆が私を受け入れてくれないのは、「私が悪いからだ」と。本当に辛くて、苦しかった日々でした。それでも死を選ばなかったのは、もし死後の目に見えない世界が本当に存在するのだとしたら、自殺は最大の罪だと教わっていたので、恐ろしかったからです。
毎日が辛くて、なんのために生まれてきたのだろうと毎日神様の前で泣きながら訴えて、問いかけていました。何をしなければならないの?と。。。
あるとき何かで読んだ本の一文が目に止まりました。「私たちは生かされている。この心臓ですら自分で動かすことは出来ないのだから。もちろん止めることもできない。」という言葉です。ならば、生かされているのならば、私は生かされている間に何をしなければならないのだろう?何をしたくてこの世に、この世界に、この時代に、この環境を選んで来たのだろう?と。
この頃から、私にとって「生きることとは?」「生まれてきた意味とは?」を考え始めた気がします。
小学3年生の頃だったと思います。本当にひどい毎日だったとしか記憶にないのですが。生きる目的を探し始めたように思います。終わりなき探求のような。。。何十年もの間。
そのような中でも、周りの環境に馴染めないまま進級し、どのようにしたら周りに受け入れられるのか?を研究し、探求し続けていました。それでも自分の中の違和感は膨らむ一方で、そのたびに大きな衝突が起きて、また自分を責めるというループから抜け出せずにいました。恋愛もしましたが、自分を否定していた私が、人から向けられる愛情に素直に受け取れるはずもなく。裏切られ、利用され、騙されて、お金も持ち逃げされたこともありました。仕事も安定せずでした。
それは、そうなるよね。という声も聞こえてきそうだけれど、その当時の私は、ただもがいているだけでした。自分を内側にしまい込んで、存在をひそめて。そんな私ではあったけれど、神様という存在が私の心を支え続けてくれました。そして両親の大きくて、根気強く待ってくれていた愛に救われていたのだと思います。帰る場所があった。私を受け入れてくれる場所があった。ただそれだけで、生きるということを選択し続けられたのだと思います。
霊的な目に見えないものを感じたりキャッチすることは、小学5年生の頃には、自分でも自覚するくらいになっていて、トランプ占いやタロットを自分で遊びで始めたのもこの頃です。学校では殆どの人と交流を持てなかったので、風や太陽、木や花、鳥や蝶といった自然界へ語りかけることが増えていきました。あるとき、風が私の問いかけに応えてくれていることに気が付き、自然界の存在とのお喋りが楽しくて、自然の中にいることで心が救われるように感じていきました。北アルプスへ初めて訪れたのもこの頃です。見たことのない雄大な景色に圧倒されて、自分の悩みのちっぽけさに気が付き、そこが私にとって唯一、存在できる場所になりました。自然とは今でもとっても仲良しです。
霊的なお話、スピリチュアルなお話はまた次回に。
今回は、ただ、思いついたことを綴ってみました。言葉使いも語尾もバラバラだけれど、それはそれで善しとしようと思います。
これは私の覚書き。私の中に蓄積した経験と知識とその時の気持ちなどを書き綴っているものです。
私の中の真実とは?
そう問いかけることもあるけれど、過去にばかり生きていた私。未来を創造してそこに恐れや不安を抱いているばかりで、「今」に存在していなかった私。やっと、「今」に基軸を感じて、次の瞬間に訪れる「今」を選択し始めたばかり。
それでいい。。。時間軸などない「今」をどう存在していこう。
その答えは探さない。きっと私は知っているから。
これもどんどん愉しみながら変化していったら、想像を超えて愉しいかもって思えてる。
今ある環境と、目の前に集めた私を心地よくしてくれる物たち。豊かさ。
思考をくるくる回すのが楽しいと感じる傾向にあるので、文章がまとまらず、そして終わりそうにないので。。。
今日はこの辺で。
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